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名古屋高等裁判所 昭和34年(う)617号 判決 1960年5月25日

被告人 加藤専二

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

所論は、いずれも事実誤認を主張するものであるが、その要旨は、本件被害者羽矢卓能の傷害は、被告人の過失によつて生じたものではない。すなわち、同人は、原判示萩沢清澄方(菓子屋)の軒先に佇立していたものではなく、右萩沢方の屋内から突然、道路上に飛び出して、被告人の運転する自動車の前面を横断しようとして、自動車に衝突したものであつて、被告人は、漸く、その衝突寸前に、羽矢卓能を発見できたものであつて、その発見の時には、本件事故の発生を回避することが、とうてい不可能な状態にあつたものである。従つて、本件は、全く不可抗力に基因するもので、被告人に対し、羽矢卓能の傷害の結果についての過失責任を、帰すべきものではない、というのである。

一、さて、本件は、単純な業務上過失傷害事件である。その事件が、事実認定について、これほど、紛糾し、同一証人を三回も喚問して、取り調べなければならない事態に立ちいたつたことは、事案の真相を究明するためには、己むを得なかつたとしても、全く遺憾なことであつた。(神谷義信証人の如きは、警察、検察庁、裁判所を通じ五回も呼び出され、その勤務関係においても、手痛い迷惑を蒙つている。同証人の当公判廷における供述参照。)事、ここに至つた原因としては、捜査段階における司法警察職員の捜査が拙劣、不充分であつたことが、先ず指摘される。警察当局としては、起訴意見を付して、事件を検察官に送致したというのに(原審における証人小島重之の供述調書参照)、事故当日の昭和三三年一月六日附の実況見分調書は極めて粗末なものであり、続いて、同年二月一七日及び三月七日の二回に亘つてなされた実況見分調書も、事故の原因を究明し、被告人の本件事故に対する過失責任を理由づける事実を明らかにするについて、捜査をつくしたものとは、とうてい認められない。既に、第一回の実況見分の際の現場の保存、認識も不十分であつた。検察官主張の公訴事実は、検察官が、同年九月ころになつて、捜査を開始して漸く知るところとなつたものである。本件において、最も重要な証人となつた羽矢卓能、神谷義信らの各供述にしても、同人らに対する同年九月三日の検察官の取り調べに及び、初めて原判決認定事実に副う趣旨のものとなつたものである。しかも、司法警察職員としては、検察官が知るにいたつた被告人の過失を理由づける各般の事実について、右羽矢卓能、神谷義信ら関係者を取り調べていないのである。撤底した捜査が適宜な時期になされなかつたことは、否定できない。

更に、又被告人の側においても、本件事故当初から、その運転していた本件小型自動四輪車のブレーキペタルとマスターポンプとを連結するピンを取り外し、事故の原因をブレーキの故障に帰せしめようとしたような形跡も窺われるのであるし、(加藤世太郎の司法警察官並びに検察官に対する各供述調書及び神田勉、間瀬武一、家田三郎の検察官に対する各供述調書参照。)更に、被告人に対し不利益な証言をし、被告人がその証言の証明力を極力争つている前記神谷義信証人に対し、豊川興信所戸田和雄が、殆んど脅迫的な言辞を弄して、その内容を了知せしめず、神谷義信をして署名捺印させた文書(弁一、二号証、その内容は、同人の意思に基かないものであるが、そこには、同人が検察庁や原審でした証言は、すべて錯覚による根拠のないものであり、真実は、それらの供述内容とは反対である旨の極めて重要な事実が記載されている。)を当審に提出して、事態を、自己に有利に導かんとする如き(当公判廷における証人神谷義信の供述参照)極めて不明朗な行為のあつたことも又、本件における事実の認定を困難なものとしている原因となつている。被告人としても、この点須く反省すべきであろう。

二、さて、本件における唯一の事実となる事実は、本件被害者羽矢卓能(当時五年一一月)が、原判示萩沢清澄方で、同人の妻かずへ(又は、かづへ。以下かずへという。)から、菓子を買つた後、被告人の運転する自動車の進行してくるのに注意を払わず、右萩沢方屋内から、その自動車の前面に、突然飛び出してきたものか、それとも、羽矢卓能は、萩沢方から出て、同人方軒先の道路西端(被告人の運転する自動車の進行方向からみて、道路左端となる。)側溝のドブ板の上で、道路の安全を確認すべく暫く佇立して待機していたか、どうかの点である。

ところで、本件記録を精査し、原裁判所が取り調べた証拠に、当裁判所のした証拠調の結果を併せ考えてみるのに、原判決が、羽矢卓能、神谷義信の検察官に対する各供述調書、同人らに対して豊橋簡易裁判所がした各証人尋問調書、神谷義信に対して原審がした証人尋問調書、その他原判決引用の証拠により、羽矢卓能が原判示の如く萩沢清澄方軒下に佇立していたとの事実を認定したことは、充分首肯できるのである。所論は、羽矢卓能は、当時五年一一月の幼児であつたのであるから、同人の供述は、とうてい措信できないものであり、しかも、原審が同人に対し直接尋問することなく、豊橋簡易裁判所のした同人に対する証人尋問調書を直ちに採用したのは、採証法則上の違法があるという。なるほど、羽矢卓能の如き幼児の供述は、尋問の場所、尋問者の態度、質問の出し方の如何によつて、その内容を左右される虞れがあり、又かかる幼児に影響を及ぼし得る立場に在る者の暗示等によつて、その供述内容が、その所期する方向に偏倚する危険のあることも否定できないが、だからといつて、かかる幼児の供述の証拠能力をすべて否定すべきいわれはない。かかる幼児といえども、自己が過去に見聞した事実、あるいは自己の行動について、割合、正確に記憶して、却つて利害打算にとらわれずに、卒直に事実を事実として供述することのあることも、われわれの日常経験するところであり、要は、これらの者の供述の証拠能力を否定すべきものではなく、当該具体的場合において、事実審裁判所の自由な裁量にまかせて、その証明力を判断させれば足りるものというべきである。そして又、これら幼児の供述を証拠とするについては、事実審裁判所が直接これを尋問するのを妥当とするであろうが、だからといつて、これらの者が他の裁判所でした供述調書あるいは検察官に対してした供述調書を証拠として採用したからといつて、直ちに、所論の如く採証法則に違反するものといえないことも又明らかである。ところで、本件において、羽矢卓能の昭和三三年九月三日附検察官に対する供述調書、同年一二月三日の豊橋簡易裁判所のした同人に対する証人尋問調書、それに当裁判所のした同人に対する証人尋問調書中の同証人の各供述記載を検討してみると、検察官調書においては、同人は萩沢菓子屋でオコシ五円を買つて、同菓子屋の前で一つ食べたと述べているが、その後の証人尋問調書では、菓子は食べずに左手に持つていたと述べ、あるいは、前者では、菓子屋の前で同人が立つている時傍に二人男の子が居たが、その名前は知らない、と述べているのに、後の証人尋問調書では、同人の傍に居た子供は四人であつて、ヤオゼ(八百屋の意味)の子と菓子屋の子の、男の子二人、女の子二人であつたと述べている(当裁判所の証人尋問調書ではヤオゼの女の子三人と答えている。)のであつて、その間供述内容に多少くい違う点があり、更に前記豊橋簡易裁判所における証人尋問に際しては、検察官の質問に際しては、前記の如く四人の子供が同人(羽矢卓能)の傍に居たと答えていたのに、弁護人の質問に対しては、一旦これを否定し、更に裁判官の問に対しては、ヤオゼの子が居たと述べる等、その供述に変化と動揺のあつたことは認められるが、これらは、原判決もいうとおり、特に何らかの作為によるものとは認められず、各質問に対し、その時の記憶するままを供述し、あるいは、同一の尋問の機会における各質問者の質問の方法、態度等により供述内容に多少のくい違いと動揺、変化をきたさせたものというべく、同人の如き幼年の者の供述としては、まことに已むを得なかつたところ、というべきである。

然し、右羽矢卓能の各供述内容を通じ、同人が萩沢菓子屋でオコシ五円を買い、これを紙の袋に入れて貰つて、同菓子屋の直ぐ表に出たところ、牛久保(萩沢菓子屋の東南に当る)の方向の「まるとうどん屋」の辺りで自動車の警笛を二回ほど聞いたということ、菓子屋の表に居た時傍に子供が居たということ、同人は、萩沢菓子屋でオコシを買つた後同店から急いで表に駈け出したものではないということ、更に、右菓子屋の表のドブ板の附近で、前記の如く自動車の警笛を聞いて、車の進行を確めた後、自動車が近ずいてくる様子が認められなかつたので、道路反対側の空地で遊んでいた友人の加藤ユウちやん達の方に向つて駈け出していつたということ(但し、羽矢卓能が前記の如く自動車の警笛を聞いて、萩沢菓子屋の表のドブ板附近で車の進行してくるのを確めたということは、同人に対する前記豊橋簡易裁判所及び当裁判所の各証人尋問調書で、そのように述べているのである。)、については、羽矢卓能の供述内容は、大綱において変るところがないのである。もつとも、同人の豊橋簡易裁判所及び当裁判所における証人尋問調書中の各供述内容として、萩沢菓子屋の表に立つていた時、同人の傍に右萩沢菓子屋の子供が居たという点は、萩沢かずへの豊橋簡易裁判所及び当裁判所における各証人尋問調書中の同人の供述記載と対比して、措信できないが、然し、この点をとらえて、羽矢卓能の前記各供述記載のすべてが客観的事実に相反し、措信することのできないものであるということはできない。記録を精査しても、本件において、原審が羽矢卓能の前記各供述調書を措信し、採用したことをもつて、所論の如く自由心証主義の限界を逸脱した採証法則違反のかどがあるものとは、認められない。次に又、神谷義信の昭和三三年九月三日附検察官に対する供述調書、同人に対する豊橋簡易裁判所並びに原裁判所の各証人尋問調書中の同人の各供述記載によれば、同人は自動車の二級整備士の資格をもち、自動車の運転には、六、七年の経験を有する者であるが、同人が、本件事故発生当時オート三輪車を運転して、被告人の進行方向と反対方向から、すなわち北東から西南方に向つて、本件事故現場である路上を通過して、現場近くの萩沢菓子屋の西南筋向いの伊藤酸素店に、バツテリーケースの修理に赴いた際に、同人が伊藤酸素店の前でオート三輪車を停めた時、同所から約一二〇米ないし一三〇米西南附近を、後で本件の事故を起した自動車が、時速殆ど四〇粁米位の速度で、同店の方に向つて北進してくるのを認めたこと、並びに、同人が伊藤酸素店北寄りの道路標識附近を走つている時と、同酸素店の前でオート三輪車を停めて、同店の者にテールナンバープレートの取替え位置を示している時の二回に亘つて、萩沢菓子屋のドブ板の上に幼児二、三人が道路に面して立つていたのを認めたと述べているのである。そして、同人は、当公判廷においても、検察庁や豊橋簡易裁判所並びに原裁判所で述べたことは、同人の記憶どおりを述べたものであり、同人がこれ迄萩沢菓子屋の前に幼児が立つているのを目撃したという点について、原判決後戸田和雄に、そのような証言をすると刑務所に入れられるような結果にもなり兼ねない、と脅されて、同人の持参した書面(弁一、二号証、その内容については、既に述べたとおりである。)に心ならずも、署名、捺印させられたが、従来の供述は変えない、と証言しているのである。

そして、神谷義信は、前記の如く相当期間に亘つて自動車運転の経験を有する者であつて、同人が、前記オート三輪車を運転して伊藤酸素店に赴く途中、その進路前方に認めたという道路の状況、特に、その萩沢菓子屋の前に幼児が佇立していたという如き道路交通の危険な状況について述べているところは、通常の通行人の見聞した道路交通の状況に関する認識内容とは、その証明力において優れるものがある、というべきである。しかも、前記神谷義信の各供述記載が、任意になされたものでないことを疑うに足りる証跡は、本件記録を精査しても、見当らない。所論は、原判決の採用しなかつた各証拠に基いて、前記羽矢卓能、神谷義信の各供述を記載した各調書の証明力を争うものであるが、萩沢かずへ(同人の検察官、豊橋簡易裁判所、並びに当裁判所に対する各供述記載)、山崎政雄(同人の豊橋簡易裁判所に対する供述記載)、大平弘(同人の原裁判所に対する供述記載)らの各供内容はいずれも本件事故直前に、萩沢菓子屋の前に羽矢卓能を含めて幼児が佇立していたか、どうかについては、特別に注意して見ていないので、はつきり判らない、と述べているものであるから、これらの証拠をもつて、前記羽矢卓能、神谷義信の各供述を記載した各調書が措信できないものとするわけにはいかない。この点に関する原判決の説示は相当である。更に、所論は、右羽矢卓能、神谷義信が述べているように、萩沢菓子屋の前ドブ板附近に羽矢卓能を含て幼児が佇立していたものならば、本件事故後、必ずや、これらの幼児らが事故現場に集つてきたであろうが、記録によれば、却つて、本件事故後事故現場には、幼児の認められなかつたことが明らかであるら、本件事故直前に、萩沢菓子店附近には幼児は居合わせなかつたものであるというが、それも又独自の議論というべきである。(現に、萩沢かずへの昭和三三年三月一九日附司法警察員に対する供述調書によれば、同人は、本件事故を知つた後現場に行けば、当時五才になる同人の子供もついてきて危いと思つたので、家の中に引込んでいたと述べている。なお又、被告人が弁解しているように、同人が羽矢卓能が、突然萩沢菓子屋から飛び出してきたのを発見したのは、同菓子屋の約三・五米位南方附近に差しかかつた時であるというのは、羽矢卓能が被告人の運転する自動車と衝突した地点が、右萩沢菓子屋から道路筋向い、すなわち、東北約五・四米の地点であつたこと(昭和三三年一月六日附司法警察員作成の実況見分調書参照)に徴し、被告人の運転していた自動車の進行速度と羽矢卓能の歩行速度とを対比してみれば、とうてい措信できないことが明らかである。以上の次第であつて、本件記録を精査し、当裁判所のした証拠調の結果に徴するも、原判決のした被告人に対する犯罪事実の認定に、所論の如く誤認のかどがあるものとは認められないし、原判決が本件において、自動車運転者の注意義務として説示するところも従つて又相当であつて、論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑訴法三九六条に従い本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項を適用し全部被告人をして負担させる。

よつて、主文のとおり判決した。

(裁判官 影山正雄 谷口正孝 中谷直久)

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